『レジェンド&バタフライ』
2022年始まり辺りかな?それくらいに東映が70周年のお祝いとして、かなりの制作と『るろうに剣心』シリーズの大友監督、さらに主演に木村拓哉と綾瀬はるかを迎えた織田信長と濃姫の映画を作るって話になったのは
話題になりそうでいまいち話題にならなかったような。いや、話題にはなったんだろうけど俺がそこまで意識してなかっただけの話でもあるし、世間は話題になっても1日2日で熱が冷めたような印象はあったけど、とりあえず2023年の話題作の始まりとして出陣したね
日本じゃ知らない人がほぼいないだろう織田信長とその妻濃姫の物語がメインなんだけど、映画の流れは信長の元に濃姫がやってきて結婚して本能寺の変までを描く中学の歴史を聞いてればネタバレもクソもない話
というのもガチで信長を時代を追うだけなんだよ。確かに濃姫が桶狭間の戦いの案を信長に教えた解釈や、本能寺の変で信長の死体がなかったのを実は地下から逃げて濃姫と海外へ行くとか(結局信長の死に間際の妄想)という解釈もあるにはありますけど、基本的に流れにそった形になります
だからストーリー的には可もなく不可もない感じではありますが、正直序盤はかなり好きです。以外とコメディ部分もあったりしたり、見ていて楽しいなという部分もあったり、もう少し暗めかなとは思ったら結構ワチャワチャしていましたね。鷹狩とかのシーンは見ていて楽しかったし、信長と濃姫が関係性を描く部分でも好きでしたね
これが大体30分くらいなんだけど、残りの時間が急にシリアスかつバイオレンスな部分になってきます。結構この空気の変わり具合は急過ぎたし、7割具合がこのシリアス部分だから逆にさっきのコメディ部分の方がインパクトある褒めれる部分と、なんか雰囲気に合わないなという不満部分はありました
あと結構大事な部分も端折られてたり、語られていないなという部分はありました。
例えば戦や戦場シーンなんかは無事に帰ってきて勝ったことを伝えたりとか、死体ばかりの戦場で戦の粗々しさやとかを映してたのはわかります。
分かるんですがあくまで安土桃山時代の時代劇で予算も可なりある映画な割には、大分戦のシーンが少ないなとは思いました。
織田信長の人生で重要な桶狭間の戦い、長篠の戦い、はたまた浅井長政や松永久秀関連の戦もカットされるか人物名は出るけど登場しなかったりと、予算の使い方が上手いのかセコいのか、そこら変は見ていて気になるし、折角予算があるならそういった場面で使おうよとは感じます
肝心の戦い場面もコメディ要素として使われた織田信長と濃姫の取っ組み合いと、あとは本願寺と本能寺の変あたりくらいで、見たいようで別にどうでもいいかなという具合な戦シーンばかりだし、あとこの時代のホームレス(そういう時代の人達のことをなんていうか忘れたから、すみませんがこう言います)に織田信長と濃姫がガチの殺陣をするシーンは逆にかなり笑えましたね
確かに二人の絆を最大に深めるシーンかもしれないけど、なんか戦らしいアクションをみせないで、ここで見せるのはどうかなとは感じたし、このシーンはかなり安い実写版るろうに剣心には感じたり、そのあと逃げ切ったあとにキスするシーンはより安っぽく感じたり、いい方向に向いてるようで残念な形にはなってました
あとはキャラクターも織田信長や濃姫以外は印象はなかったし、今まで出てきたキャラクターも察すればわかるんだけど突然消えてたり、織田信長がうつけ感満載で自分じゃあ考えられないような性格から人の心を捨てたたのもかなり急で、なんでそうなったのか気になるのに知れなかったり
つまりは3時間の長尺な作品ではあるけど、雰囲気とかだけは対作品感出してる割には、無駄に長く引き伸ばして、必要な説明や必要な要素は何故かカットしているような作品でした。その証拠に「凄い大作でしょ?ね!ね??!」って感じで、メチャクチャ映画の音楽がデカい&使い方が下手くそなのが何よりの証拠で、上っ面だけは予算をかけた大作な割には映画としては微妙に作り込まれてない作品でしたね
正直映画に関して言えばここまでのレビューですが、いい機会だしTwitterでも話すよとは言っちゃいましたから少し「木村拓哉が何故、演技が木村拓哉と言われるのか」というのを話します。興味なければブラウザバック推奨で
今回の木村拓哉の演技が素晴らしければ話さないつもりでしたが、今回も残念ながら木村拓哉が木村拓哉してたので、なぜそうなるか個人なりの考えの元話していきます。あと木村拓哉ファンの皆様はすみません。
俺は木村拓哉の演技を全部見てきたわけじゃないですし、生まれる前から木村拓哉が俳優業をしてるくらいだから彼の演技の全てを知ってる訳じゃありません。
けど個人的には木村拓哉の演技は上手いとは感じます。
「はぁ?」
と思った方は落ち着くか、金平糖噛むか、なんか噛んでください
演技は上手いです。けどそれは木村拓哉内の出来上がった演技としてはかなり上手いという意味であり、ひとりの役者としては上手くはないし木村拓哉が木村拓哉になってしまう部分でもあります。
もっと言うならこの世に演技の全てが書かれた教科書があります。木村拓哉は教科書通りに演技を磨き、教科書通りの演技をすることが出来る優等生ですが、教科書通りにしかできない応用力が効きません。
もっと言うなら「お爺ちゃんの歩く演技をしてください」と言われたら、木村拓哉がどうするか分かりませんが、下手な俳優がやるような「松葉杖をついて腰を低くしたお爺ちゃん」の「典型的」な演技しかやれないんです
つまり、その演じるキャラクターによって喋り方から始まり「訛り」「クセ」「喋りの速さ」「喜怒哀楽の表現方法」、動き方からの「歩き方」「腰の低さ」「その人のクセ」「歩幅」などなどなどあるわけだし、地球上の人類が十人十色なわけで人それぞれ違うわけです。その違うキャラクター達を演じ分け、演じきるのが「俳優」「役者」と俺は思います
それが俺は100%出来なくとも、できて当然、むしろ出来ないとやれないよと思うわけで、それをできる人達をカメレオン俳優とメディアが馬鹿みたいに褒め称えてるけど、
役者は基本全員カメレオン俳優なんですよ。王子になれるし、貧乏人にもなれるし、女性にも、男性にもなれるのが役者です
そうした自分のクセをどれだけ取り除き、キャラクターのクセを入れられるかなんですよ。例えば二宮和也も最近は木村拓哉化していますが、二宮和也も彼の演技が出来上がってしまいその演技通りになってしまうから二宮和也が二宮和也の演技をしているんです。
あとどれくらい気づいてる人がいるか分かりませんが、彼ほとんどの演技で斜め前に体が寄ってる時があるから、そこらへんの細かい部分も出ちゃうと「あ、ニノだな」となっちゃいます
木村拓哉も同じで喜怒哀楽の演技は出来ても細かい部分が器用にできなかったり、叫ぶ演技も9割が最後の4〜5文字くらいはでかい声を出してる時があるし、だいたい同じです。
あとは良い意味でも悪い意味でもカリスマ性がありすぎるということ。カリスマ性があるのはいいけど、そのオーラを隠しきれてないから、どんなキャラでも木村拓哉に見えてしまう。少し前の着ぐるみを着てSnowManの番組に出てドッキリ仕掛けるときも、オーラ隠しきれてなかったり、刀持ってるときの佇まいも木村拓哉だったりしましたからね
勿論色んな俳優が映画やドラマ以外でもバラエティや舞台、ラジオや音楽をやってるから多忙すぎてそんなキャラクターひとりひとりに集中できる時間がなかなか無いのは承知だし、そうしたいんだろうなとも感じるし、そういった時間が作れない芸能界の社会構成も問題なんだろうし、ひとりひとりのキャラクターに精神注ぎ込んだらかなりの疲労やメンタル的にも問題がでますから、「じゃあこれからしっかりやってください」とは簡単には言えないんですよね
ちなみに木村拓哉の個人的なベストアクトは声優業にはなるけど『ハウルの動く城』のハウルで、最初こそは木村拓哉感は強いけど徐々に見ていくうちにハウル役木村拓哉というのを良い意味で忘れる。つまり彼の演技のクセがほぼ無くなり、ハウルが喋ってる感覚になる。世間が今「ハウル役ってキムタクだったの?!」と言われるのが何よりの証拠です
まぁこんなクソな俺のブログをキムタクが見てくれるとは思わないけど、もしキムタクじゃなくても俳優や役者を目指してる人のなにかの参考になってくれたらいいなとは思います。
■評価
最終評価は・・・
😀😀😀😀😀|😀●●●●
10点中6点です
映画としては何回も言いますが序盤とラストのエンドクレジットの流れは好きでしたが、他は小学校のときに読んだ歴史人物漫画を見てる気分でした。てか彼をより知りたいなら漫画の方が一番いいかも
はい、そんな感じで!
それでは!