■予告
■あらすじ
パンクムーブメント吹き荒れる70年代のロンドンに、デザイナーを志す少女エステラがやってくる。情熱と野心に燃える彼女は、裁縫やデザイン画の制作に打ち込み、デザイナーへの道を駆けあがるため切磋琢磨する。そのままデザイナーへの道を進んでいくと思われたエステラだったが、カリスマ的ファッションデザイナーのバロネスとの出会いが、エステラの運命を大きく変えることとなる。夢と希望にあふれた若きエステラが、なぜ狂気に満ちたクルエラとなったのか。その秘密が明らかにされる。
■ネタバレあり
『クルエラ』(原題:Cruella)
ディズニー映画『101匹わんちゃん』のヴィランであるクルエラの誕生となぜ狂気に満ち溢れた人物となったのか。その物語を描くクルエラの単独実写映画化。
こちらもコロナの影響で延期になり、映画公開とDisney+配信で上映されている作品です
この作品を例えると『プラダを着た悪魔』と『ハーレイクイーンの華麗なる覚醒』を合わさったような作品でした。物語の始まり方や主人公がナレーションしながら進行し女性の多様性を訴える面としては公社だし、ファッションの世界を描いている面としては前者です。そのどちらの作品も好きと言う方は本作もきっと気に入るでしょう
劇中に出て切る服装や服装のデザインはファッションに興味ない自分でも素晴らしく芸術的だなと思うくらい良かったし、クルエラのファッションに関しても観ていて飽きないし見ごたえありました。(本当ファッションに興味なさすぎるからこんな感想しか言えない)
映画そのものとしてはクルエラが母を亡くし泥棒仲間と出会ってファッション界に進出します。そのファッション界で天辺を取っているエマ・トンプソン演じるバロネスがクルエラの母を殺した真実を知り、復讐と社会的地位を奪うという話になります。
そもそもあまり『101匹わんちゃん』のクルエラに関してはあまりヴィランとしての魅力は個人的には感じられなくて、とりあえずディズニーの中でも人気ではあるし、実写化はまだしやすいかなという感じはありました。
とりあえずどちらにせよこの映画は興行次第ではたぶん続編がありそうだなって感じはしました。クルエラがファッション業界の天辺にたどり着く若き日を描いていて、なぜクルエラがそこまで毛皮に取り憑かれ毛皮のファッションを好むのかというディズニーファンとしては最大の気になる部分が描かれてはいなかったのでたぶん続編はやりそうですね
けどひとつの映画作品としては映像や服装は魅力的ではあったし、なによりひとつのヴィラン映画としてはまた違った味を出していたのではないんでしょうか?
例えば『ジョーカー』のような社会の中で苦しんでいる人たちの救済映画であり背中を押してくれた映画であったように、『クルエラ』もこの世の中特に女性からしたらかなり背中を押される映画なのではないかなと感じました。下を向いていた日からこの映画を観て前を向けるようなかなりパワーがある映画だったと思います。
なぜそう感じたのかという理由は申し訳ないけど言葉に出来ないというか、そういう雰囲気があったとしか言いようがないです。けど明確な理由はなくとも観ているだけで何か勇気を貰えるような正に悪魔的な映画だったのは間違いないですね。
ここから不満点を話していきます。
まず音楽。洋楽をあまり知らない人でも「これは聞いたことある!」というような曲が何曲は何度か出てきました。有名な曲が集められてそれを使うのは構いません。だけどその使い方が雑に感じました。とりあえず使っておけばいいかというテンションで使っているため、何のためになぜその選曲をしたのかいまいちわからないのでとりあえず雰囲気に合うような曲を適当にチョイスした感がありました。
次に映像です。服装の芸術性は素晴らしくてクルエラの服装の見せ方とかもかなり素晴らしいと思います。
ただそれとは別の部分で予告でも感じたCG感があるCGはかなり違和感ありました。
予告でもあるのは白い布を着たクルエラが火の点いたマッチを下に落として白い布が燃えて中から赤いドレスを着たクルエラが登場するシーンです。あれだけなら目をつむろうかと思いましたが、他のシーンでもグリーンバックで撮影したのかはたまた撮影した場所にCGを付け加えたのかなというのが何度かあったのでそこで映画から気持ちが離れたことはありました。
脚本に関しても多少微妙だったなという点はありましたね。特に終盤辺りとか。
例えばバロネスがクルエラの隠れ家を燃やしてから実はクルエラが生きていたというのは情報としてはバロネスは得ていないんですよ。
バロネス自信がクルエラは生きているのではないかと察知もしくは感じているのであればまだ話しは別なのですが、そう思わせるシーンは全くなくて警察やらに無能扱いしてるけれど「クルエラは生きているからパーティーの警備は注意して」というんですよ。なにを思ってそう感じたんだって話ですよ。
そんでそのパーティーの参加者には事前にクルエラ達が仕込んで「クルエラの死を弔いましょ」的な形で同じ白黒のカツラが用意されてるんです。これはクルエラがパーティーに侵入しやすい為に紛らわせる作戦です。
ただここでリアリティーな話をしてしまうと、あのパーティーで特に女性全員がクルエラと同じ髪色にするのはなんか可笑しかったというか。(このパーティーは男性も参加してましたが、ほとんどの男性は警備だったし白黒カツラをつけてたの女性だけだったんですよ)
というのもファッションって映画や音楽と同じで好き嫌いは分かれるわけで人によっては好きなブランドも違うし、好きなファッションデザイナーも違います。だからクルエラは映画内では最先端で奇抜なファッションではありましたが少なくともそれを毛嫌う人はいて「やっぱりバロネスは最高だよね」って言う人はいたはずなんですよ。劇中人気が低迷しているとはいえさ
それでバロネス自信はエステラ(クルエラ)自信にクルエラはムカつくけどファッションの才能は認めるとは言ってます。ただそれを世間に公表してるかと言われたら俺の記憶上公表はしていませんよ。この2つを理由にあのパーティーで全員が白黒カツラパーティーが行われているのは少し不自然だった感じはあります。
必ずひとりや二人はバロネス派はいても可笑しくないのに皆カツラをかぶり、世間に公表してないのにクルエラを弔うようなパーティーになってしまった(流れ的な感じもあるが)。そうするとバロネスのパーティーに来た人がただただ「いや私たちお前のパーティー観に来た訳じゃなくてクルエラ弔いに来たから」みたいな変なイジメが起きていて、なんか知らないけど劇中のキャラクターは当たり前のように説明もなくやりのけちゃうからなんかそこら辺が結構可笑しかったりはしましたね
それにこれは個人的なんだけどまだ母親を殺した人に復讐するのはまだ良いとして、その復讐する相手のバロネスが実は実の母親でその天才的ファッションセンスは実は母親譲りだったというのは少し萎えてしまいました。
なんか『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』と同じような萎えでさ、『フォースの覚醒』では普通のひとりの少女がフォースを使えるんだ!って夢のような物語になるのかと思いきや『スカイウォーカーの夜明け』ではあるフォースを普通に使える奴がおじいちゃんだったってのがありまして
実際本作も普通のひとりの女の子が天才的なファッションセンスを持ち、母親を殺した相手を社会的に殺し復讐すると期待したのですがフタを開けたら復讐相手が天才的ファッションセンスの持ち主で産みの親ですよ。なんか夢も希望もないなって感じですよ。特に最近のディズニー実写映画は。
これで実の親でなければまだ良かったんだけど、実の親になると「あー結局才能って血縁なんだね」って萎えるんですよ。ちなみにこれ俺が観たとき一番前の席に父親と娘の親子が観てたんですが、娘さんはどんな心情だったのか。父親はこの映画を観たあと娘さんになんてアドバイスしたのか気になります。「才能は結局血縁なんだよ」って言ってたら笑えますが。いや笑えねーよ
■評価
最終評価は・・・
😀😀😀😀😀|●●●●●
5/10です。
個人的には満足度は低めですが、クルエラのファッションの良さや映画の進行は良かったと思うのでこの点数にしてます。たぶん二度は観ないかもしれません。そんな映画です
はい、そんな感じで!
それでは!