■予告
■あらすじ
中学生で作家デビューしたものの、発表した作品を酷評され売上も伸びないナイーブな高校生作家・千谷一也。一方、同じクラスの人気者であるドSな性格の小余綾詩凪は、高校生作家としてヒット作を連発していた。性格もクラスでの立ち位置も作家としての注目度も正反対の彼らだったが、編集者に勧められ、小説を共作してベストセラーを目指すことに。反発しあいながらも物語を一緒に生み出していくうちに、一也は詩凪が抱える意外な秘密を知る。
■ネタバレあり感想
『小説の神様 君としか描けない物語』
トイレにはそれはそれは綺麗な女神様がいるんやでと誰かが言ってたけど、それを歌ってた人は今何をしてるんだろうというのが映画見終わった最初の感想。
というのは冗談で橋本環奈とEXILE/FANTASTICSの佐藤大樹主演の青春映画
原作は未読、漫画版も未読。とりあえず前情報無しで鑑賞に至ったけど、映画が始まる際の配給会社のロゴ「HIGH BROW CINEMA」を観て何かを察したけどとりあえず最後まで見てみないと分からないからとりあえず最後まで観た。(あまりにもトイレに行きたくてエンドクレジット途中で退出しましたから最後まで観たかは……まぁ一応本編は全部観た)
まぁなんか察したことが的中したというか予告でもなんか嫌な予感はしてたから正直「あーだろうな」という感じではあったけど、様々な演出やら何やらが「あーだろうな」では終わらない映画になってまして
とりあえず一言いうならダサかった。ダサいのオンパレード。この間『ヒプノシスマイク』のアニメを観てそれもダサいにはダサいけどあれは良い意味でダサさを感じる。まだ笑えるタイプ。ただこの作品に関しては笑えないし悪い意味でダサいんだよね。
例えば序盤20分くらい映像が白黒なんですよ。面白いことに。現代で白黒にする演出する意図って様々だけど大まかだと、過去やかなり昔を思わせるシーンで使ったりとかあるキャラクターの気持ちが閉ざしたりとかに使われると思うんだけど本作はたぶん後者として使われてて。
主人公の佐藤大樹が小説が売れなかったりとか自分の書きたいものが書けなかったり、書いた小説が酷評されたりしてて落ち込むから白黒で表現。それで橋本環奈と一緒に仕事をして橋本環奈からプロットを聞いたら世界観が凄くて途中から色鮮やかになります。
やりたいことは分かるんだけどさ、どうも上手く伝わらないと言うか。色鮮やかになってからプロットを聞いた佐藤大樹の一言が「やっぱり凄いや」って言ってて、何で今まで落ち込んでた気持ちが鮮やかになったのがいまいち分かり辛いんですよ。特に「彼女とならやれそうだ!」とかでもないし「これで金が稼げるぞ」って訳でもないし
それに橋本環奈のプロットもそうなんだけど各キャラクターの書く小説が何が凄いのか分かり辛いというか伝えきれてないんですよ。『バクマン。』みたいにキャラクターが描いた漫画が観れてどれだけ凄いのかが分かりやすかったんだけど、これにはそれがなかったし橋本環奈のプロットの説明も初めと終わりだけしか聞かされないから何が凄いのかも分かり辛く、分かり辛いから主人公がなぜ心が少し前向きになるのかも分かり辛い
「そんなに分かり辛い分かり辛い言ってるけど、映像で読み取れてないだけじゃない?」という人もいるし言い訳にしか聞こえないかもしれないけどさ、色鮮やかになってから話をしてる二人が大草原にいてそれを中心にぐるぐるカメラが回って、カメラが切り替わったら教室にいて二人が椅子からフワッと浮かび上がる映像から何を読み取れと。俺にはむずかしい
俺も頑張って読み取ろうとはしたんだけど、やっぱり監督が「ただ撮りたかった。こうすれば感動するんじゃね」って考えが見えちゃったし、白黒映像も色鮮やかになってから途中また意味のないところで使われてたりしたから、じゃあ結局序盤の白黒映像もただやりたかっただけなんじゃねと思ったりしました
他の映像もそうで一部の映像は確かに芸術的だったし綺麗だったりはしたんですが、それでも芸術的なだけだし綺麗なだけでその映像でなにを表したいのか、なにを伝えたいのかその意図が見えてこないから監督がただただ「自分こういうのも撮れるんですよ」ってどや顔が浮かぶし、もっと言い方悪ければただの自慰行為なんですよ
特にキャラクターの心情を撮してる訳ではなく、ただただ綺麗な映像を流す、ただただ美術的なものを撮して音楽をガンガンに流す。ここまで来ると下手なMV観た方がマシです。
カッコつけてる奴がカッコつけた服着てカッコつけた台詞吐くとダサくて寒気がしますよね?もう終始こんな感じです
音楽もそうなんですが、あまりにも多すぎるというか使いすぎで音楽というか挿入歌で映画の雰囲気を台無しにしてました。挿入歌が3から4曲くらいあってそれを何回も終始聞かされるんですよ。
最悪なのはさっき聞いた曲を5分後また一から聞くときもあるし、Aの曲が流れて次Bの曲になって少し経ったらAの曲になって、またあるときはAの曲をサビに入る前に消えてたらすぐにBの曲が始まったりして。同じ曲を何回もこの調子でナガシマスパーランド
なんか調べたら挿入歌が新人のアーティストで、主題歌もE-girlsからソロ活動するプロジェクトで選ばれたアーティストを起用してるんですよね。もう『アナ雪』戦法で売り出すきまんまんじゃん。欲まみれじゃん。何回も聞かせて覚えさせて「あ!いい曲!」ってさせて買わせる気まんまんじゃん!マントヒヒじゃん!関係ないじゃん!
映画にそんな欲いらねーつってんだろ!
少し映画の中身も説明します。劇中では主人公たちはアンチに叩かれて凹んだり、主人公がやっと自信満々に書けた新しい小説も持ち込んだら最終的に通らなかったと言われて凹みます。凹むのは分かるし、学校も休みたくなるのは分かるよ。
ただ言っちゃあれだけどたったそれだけでじゃあ小説家やめますって言うのもどうなの?それ覚悟でやるって決めた訳だし、そういう厳しい世界な訳だから簡単に行ける訳がないって覚悟の上な訳でもあるからさ、ちょっとここの主人公に関してはあまり共感できないんですよね。
それから結構な頻度で野球部の練習シーンが出てきます。かなり出てきます。たぶん野球部の練習や試合でキャラクターの心情を表したかったのかもしれませんが、これも上手く現れていないしやっぱり監督の自画自賛演出なんですよね。
というのももう野球部シーンが5から6回くらい現れるんですよ
そんなに野球好きなら最初から野球映画作ろうよ!
あと一番の疑問は佐藤大樹演じるキャラクター。佐藤大樹自体演技が下手で母親との会話も親子の会話というより佐藤大樹が先輩女優に話してる感覚なんですよね。まぁ佐藤大樹以外にも洋画とアニメの演技を織り混ぜた演技する奴や、大袈裟な演技するやつもいるから佐藤大樹だけが悪い訳ではない。
それで彼のキャラクターは母子家庭で妹は心臓病で入院。父は売れない小説家で主人公が小さい頃に亡くなった。その割には家が無駄に豪華だなと思ったのは俺だけ?なんか普通にパソコン持ってるし、パソコンは100歩譲って主人公の部屋は父から譲り受けたと言っても広すぎるし、妹の服も綺麗な服を揃えてる。確か父親売れない小説家だったよね?
それに高校は義務教育じゃないから無理に行かなくても良いわけだし、妹の手術費が必要なら小説で当てて費用稼ぐよりもとりあえず家や家具を売りさばいた方が早いし、売りさばいてアパートに住んでそれでも小説書いて稼ぎたいんだとかならまだ説得力は増しますよ。
それに妹も妹で無駄に元気過ぎるからコイツ本当に体悪いのか疑うから感情移入はできないです。とにかくここら辺は矛盾だらけというか考えれば改善できるところを見直してないのが丸分かりというか。
まとめるとストーリーの薄っぺらさを映像と音楽で誤魔化した作品で、だけれど映像は製作陣の自画自賛で作られたようなどや顔ムービーに仕上がってるし、音楽もしつこすぎてただの新人アーティストを売り出す為のものになっていました。
ただ良い映像を撮りたいとか音楽をアピールしたいということに気を取られ過ぎてて演技指導もされていないし、ストーリーもスカスカであまり響かないし、矛盾はあるし、メッセージ性も分かるには分かるけどここではあまり多くは語らないけどさなんか「俺らだけのせいなの?」とか「いや、別に100人中100人がそうとは限らないじゃん」と言いたくなる感じです。なんか多く語ると怒られそうだから割愛します。
ところで結局「小説の神様」とは?
え?「小説の神様を信じる?」って言うからなんかそういう感じのかなと思ってたら別にハッキリはしないし。お笑い芸人がよく使う「笑いの神様」みたいな感じ?
■評価
最終評価は・・・
😀●●●●|●●●●●
1/10です。
なんか怒りを覚えるとかじゃなくてさ、見終わった後に「なんでこんな映画の為に時間使ったんだろう」ってモヤモヤする感じになる珍しいタイプのクソ映画でした。とりあえず観なくていいです
はい、そんな感じで!
それでは!