■予告
■あらすじ
ある時、恐竜博の化石発掘体験で化石を見つけたのび太は、それを恐竜のたまごだと信じ、ドラえもんのひみつ道具「タイムふろしき」で化石を元の状態に戻す。するとそこから、新種の双子の恐竜が生まれる。2匹をキューとミューと名づけて育てるのび太だったが、やがて限界がきてしまい、2匹を元の時代に返すことに。ドラえもんや仲間たちとともに6600万年前の世界へと旅立ったのび太は、キューとミューの仲間を探す中で謎の島にたどり着き……。
■ネタバレあり感想
ドラえもん屈指の名作『のび太の恐竜』の新バージョン。公開は延期されついに上映されました。主題歌はMr.Children、ゲスト声優に木村拓也とかなり豪華な布陣で期待してた人もいたでしょう
…先に話すと俺は別に『のび太の恐竜』が好きというわけではありません。ただ映画に登場するピー助というキャラクターは大好きです。
この『のび太の新恐竜』という作品はあくまで『のび太の恐竜』のリメイクではなく、『のび太の恐竜』の意思を継ぎあくまでオリジナルとしてこの作品は産み出されてます。
ではなぜ『のび太の新恐竜』ピー助は出てきたのでしょうか?
もしリメイクであるならばこの作品にゲスト出演するのはまだ分かります。しかし本作はあくまで『のび太の恐竜』を置いといてオリジナルとして勝負したんですよね?ここでピー助をドでかく出すのは明らかに『のび太の恐竜』に媚を売ってるのと同じなのでは?
ピー助が登場している割にはジャイアンやスネ夫がのび太の恐竜がいる説にバカにするのもピー助との思い出が消えたのかと思うとファンは悲しくなるし、タイムパトロールが出るくらい時間軸に関してうるさかった割にはまるでドラえもんたちがピー助と会わなかった世界にいるような気がしてかなり違和感はありました
ここまでうるさく言うのもピー助がデカデカとしかもあるワンシーンに関してはかなり美しいアニメーションで登場したからというのもありますが、最初の一回目の登場が言葉は出しませんがピー助がのび太のことを覚えてる感じがするんですよ。それなのにのび太達が忘れているのがかなり腹が立つんですよね。あのピー助の背中がかなり悲しく見えますよ
だったらこんなことするくらいならピー助のフィギュアが棚にあったくらいのファンサービスで良いですよ。なんなんだよ、こんな露骨なファンサービスは。どうせ「懐かしのピー助を再登場させれば皆喜ぶ」とか思うなよ。ふざけるな
それで後々「あれはピー助に似た兄弟」とか言いそうで怖いわ。あんなフォルムと色使いピー助以外何者でもないだろ!
ちなみに調べたらコロコロコミックから出されている映画のコミカライズ版にはのび太が序盤の恐竜展にてフタバサウルスを観た際「ピー助だ!」と叫ぶシーンがあります。
DO U I U KO TO DATTEBAYO!!
映画全体としては確かに賛否は分かれますね。俺は客観的に見るとどちらかというとまぁ好きではないけど時間を忘れて楽しめるタイプの映画ではあります。しかし個人的な目で見るとそんなに好きにはなれないというか、良いところは確かにあるけれど好きにはなれなかったです
アニメーションは素晴らしい部分はあるけれど、たまに恐竜のCGが現れる際はアニメーションとあまりマッチしてないことはあったし、だけどあるシーンではCGだったからこそ迫力ある部分はあったし、けれどティラノサウルスやトリケラトプスが「ともチョコ」で仲良くなると急にデフォルメな手書きアニメーションの恐竜になるからじゃあ最初からCGなんて必要なくないかと思ったり。
なんかひとつの分野に良い部分と悪い部分それぞれ見つかってしまって、良い部分が見つかれば悪い部分も見つかり見方を変えたら良い部分でもあったり、聞いてる限りはバランスは良いように聞こえますが見ている人からするとアンバランスで鑑賞中あまり安心して観ることができないというか
キューとミューも確かに可愛いんだけど、他の恐竜たちが野性的だったりするからそれと比べるとかなり感情豊か過ぎて下手したら人間のようにも見えたりして恐竜を見ているというより、なんかポケモンを見ている感じなんですよね。似てはいないけど『ジュラシックワールド/炎の王国』のあの新種の恐竜を思い出した
キューに視点が行きすぎてしまい「双子の恐竜」と宣伝してる割にはミューの存在が後半に差し掛かるにつれて影は薄くなるし、一度ミューがキューを守る描写はあるんだけどそれまでの劇中彼ら双子としての仲の良さとか絆があまり描かれてないからミューがキューを守るシーンもあまりグッと来ないんですよね
一番は脚本ですね。ストーリー事態はシンプルだし、特にツッコミ要素は少ないけどツッコミ部分を言うなら「ともチョコ」という道具の効果ですよね。なんか自分と相手が同じチョコを食べたら友達になれる道具で効果は1時間と言われてましたが、ティラノサウルスやトリケラトプスに使ってから映像だけで見ると1時間を余裕で越して2から3日継続してたりしましたね
キューがなかなか飛べたなくて自分の仲間に入りたいのに入れないシーンものび太が「飛べないから仲間になれないなら、飛ばしてみせる」という台詞を吐きます。そして飛べるようになるために必死に特訓します。
これはのび太も逆上がりが出来ない、だけれど出来ないことを頑張って挑戦することはとても大切でいつかは成功するというメッセージも込められていると思います。現にキューは飛べたし、のび太も逆上がりはできます
ただ逆をいえばこの部分は「皆が出来ないのはいけないことであり、皆に合わせなければいけない」というメッセージにも聞こえてしまうんですよね。インタビューでも映画について「多様性」を掲げてはいますが、この「多様性」も考え方が正しいようで間違っているように感じるんですよね。
のび太は勉強も出来ないし逆上がりも出来ない。だけれど射撃やあやとりは得意だし、人の痛みを知れる優しい心を持っています。
キューも飛べなくても何か別のことが得意で最終的にそれが物語を大きく動かすという展開にも出来たはずなのではないでしょうか
言いたいことは分かるし、頑張るのは大切です。だけれど出来ないことを無理して頑張って皆と合わせなければいけないというのは個人の魅力を潰すことであるし、そうした「皆が出来るからお前もやらなきゃいけない」という縛った価値観を納得することはできないし、それで感動を呼ぼうとなるとかなり不気味だな
それに自分も同じ状況なのにそれをキューという子供に強く当たり特訓させるのび太は毒親というかスパルタ教育をする親にしか見えませんね。のび太も逆上がりの特訓はしていましたが、キューが飛べないから飛べるようにさせるという特訓は果たしてキューの為を思っているのか、はたまた出来ない自分と重ね合わせてしまってイライラしているのか。これがどちらなのか毒親持ちの自分から見たらここら辺はかなり見てて引っ掛かりましたね。
そういう間違った教育方法だとか、やりたくないのについやってしまう教育に共感する人もいるかもしれないのでこの演出についても一概にダメとは言いきれません。
ただこれらひとつまとめて言えるのは、なんだか「大人も子供も楽しめる映画」という割にはなんだか大人も楽しめるというより、大人に媚を売った作品になってる気がするのは気のせいでしょうか
媚を売るというのは言い過ぎかも知れませんし言ったことに反省はしていませんが、ただ大人に目を向きすぎて映画全体的に子供が楽しめる作品かと言われたら難しいです。
確かにハラハラする場面はあるにはありますが、ストーリー全体は王道で逆に言えば薄っぺらくて良く見るような作品にはなっているんです。ストーリーとしてのワクワクはあまり感じられなかったなという印象もあります。
それでラストは『君の名は。』みたいに隕石降らせて、無駄に壮大にさせて、ミスチルの曲を流して感動の押し付けをする。『君の名は。』の時はまだこうした演出に関しては衝撃もありましたが、物語としても成立はしていました。ただ本作に関してのこの演出はコピペに近いというか、いやコピペなんだよ。なんだかもう何もアイデアが出なかったにしても、何かしら手は加えようよ。ほぼまんまやん
色々言いましたが全体的に良くもあるし、悪くもある。それらがカバー出来てるかと言われたらあまり出来てない好き嫌いがハッキリ別れる作品かなと思いました。
あと最後に
Mr.Childrenの曲、今回も最高でしたわ!
■評価
最終評価は・・・
😀😀●●●|●●●●●
2/10です。
つまらない訳ではないけど色々と言いたくなるような作品にはなっていて良くも悪くも世間には認知された作品にはなりしたね。ワーストランキングに入るかは別として、とりあえず俺からはこの点数にします。
ちなみに当ブログでは地味にドラえもん映画レビュー初めてなんですよ
はい、そんな感じで!
それでは!