■予告
■あらすじ
アメリカの田舎町センターヴィルにある警察署に勤務するロバートソン署長とピーターソン巡査、モリソン巡査は、他愛のない住人のトラブルの対応に日々追われていた。しかし、ダイナーで起こった変死事件から事態は一変。墓場から死者が次々とよみがえり、ゾンビが町にあふれかえってしまう。3人は日本刀を片手に救世主のごとく現れた葬儀屋のゼルダとともにゾンビたちと対峙していくが……。
■ネタバレあり感想
『デッド・ドント・ダイ』(The Dead Don't Die)
やあやあ皆の衆久しぶり。俺だよ俺KOUTAだよ。ちゃんと生きてたよ。ここ最近のアレの流行でなかなか新作が見れないというか見れなかった状況だったんだけど、とりあえず6月に映画館が再起動したらしいからまた新作観れるようになってこうして帰ってきたよ
勿論劇場ではマスクはするし、できるだけ人と離れた場所で席を予約したり、手洗いとか自分ができる範囲での対策をしながらこれからも新作のレビューをしていくよ
………まぁこんな前置きはたぶん他の人たちもやって話しているし、それを聞いている人たちからしたら「そんなことは当たり前だろ。いいから早く本題に入れよ」って気持ちになってるだろうから、これくらいにして早速1ヶ月半ぶりのレビューをしていくよ
映画のストーリーはアメリカの田舎町が舞台。その町に住む昔は宇宙の最高指導者として名を馳せてたけど、今や正義の心を持ちあの相撲取りのような写真がSNSで笑い者にされたのに筋肉ムキムキと表されたアダム・ドライバー演じる警察官と、同じく警察官で昔は幽霊退治をしていたけど本作はゾンビ退治をするビル・マーレイがゾンビを退治するという作品。
これだけ聞くと田舎町で起きるただのゾンビ映画として観てとれるんだけど、本作は色々と一筋縄ではいかないというか、ただのゾンビ映画として語るにはなんか申し訳ないというか、もしかすると見る人によってはかなり期待はずれな作品になってるんじゃないかな
というのもジム・ジャームッシュ作品を観てる人なら分かるとは思うけどかなりスローテンポな作品が多いから、その時点でゾンビ映画とスローテンポが合うのかという疑問が生まれるなんだよ。俺もジム・ジャームッシュ作品を全部観たわけではないからなんとも言えないから「彼の作風にゾンビは合わない!」とはでかい声では言えないし、小さい声でも言える立場ではないよ
序盤30分くらいまではキャラクター紹介がてら住人たちの会話劇を繰り広げたり、映画の世界設定の説明でラジオやテレビの情報が流れながらシュールな笑いを繰り広げるんだよね。
話が進まないわけではないけど、ゆっくりと着実に話を進めていっているし、人によってはこの序盤の会話劇がかなり退屈感じるかもしれないね。この時点で人を決めるというか、「バイオレンスで手に汗握るゾンビアクション!」を期待して観るとかなりガッカリはするかもしれないね
俺は正直この映画を観てほしい気持ちはあるけど、この話を聞いて「合わないな」と思ったのであればそれを覚悟で見るか、今回はやめとくかをオススメしとくよ。
だけど映画事態がスローでゾンビ映画にしてはつまらないかと言われたらそうでもなくて、映画としての良い感じの引っ掛かり部分はあるし、なにより映画事態の醍醐味であるユルい感じの映画の良さが露になっていたよ。
冒頭のオープニングで「デッド・ドント・ダイ」が流れ、パトロール中の主人公二人がラジオを流したらまたしても「デッド・ドント・ダイ」が流れる。これに対して「あれ?さっきも聞いたような気がする」というメタ発言会話があったりして、この映画のシュールさとユルさだから許されるギャグには笑えたよ
さらに言うなら「まずい結末になる」とアダム・サンドラーが言うから「さっきからなんなんだ!」とビル・マーレイ。その理由が実は「台本を見たから」とかなり衝撃的(?)な発言。ビル・マーレイに至っては「いや、私は自分の出演シーンしか知らない」ともう映画の世界無視でメタ発言を連発するから笑ってしまう
そもそもの話さ自転が狂ったから死者が蘇ってゾンビが出没したとか、ダイナーの死体を観て動物がやったと皆思ってるのにアダム・サンドラーはさらっと「ゾンビがやりました」と言うし、真顔でゾンビを殺したりゾンビになる前に死体の首を真顔で切断したりと良い意味でワケわからんことのオンパレードなんだよね。
だからなのかもうユルくてシュールで訳の分からんことばかり続くから終盤あれが空から現れた時はもう何も驚きはしなかったよ。
………嘘だよ。普通に「え~・・・」って引きぎみに声だしちゃったよ
だけどシュールなゾンビ映画かと言われたら実はそれだけでは終わらなくて個人的には今の社会をゾンビを使って皮肉った作品にも見えたんだよね
例えば自転がずれた云々の話もある会社が何かしらやってしまって自転がずれた。だけど会社も政府も「何も問題はない。安全だ」と明らかに安全ではないのにそれを隠し、それをただただラジオやテレビで黙って流すメディアという時点で風刺的だし、
年寄りはそれを観て「どう思う?」と話し合ってるけど若い子はそれを「つまらない」という理由でラジオを変えるというのもなかなかの皮肉ですよね
それにゾンビもただ生前のやっていたことを口に出しているというだけではないのも分かるのよ。
ただただ自分の趣味の言葉を発したりそれを行動したりするゾンビ、欲しいものの言葉を発するゾンビ、中にはWi-FiやBluetoothを探し回るゾンビなどなど自分の欲を埋めるもの欲であったものの言葉を発してるように聞こえてしまいます
ただただ欲まみれで欲を探し求め食い散らかす姿はまさにゾンビのようであるし、自転がずれたとかそれらがある会社が原因だとか実際ゾンビ以上に目を向けなきゃいけない問題を見向きもしないで自分の欲ばかりに目を向ける俺たち人間は果たしてそれは生きていると言えるのか?それはもう中身が灰や塵のように中身がスッカラカンのゾンビ同様なのでは?
だからアダム・ドライバーの「まずい結末」というのも二人がゾンビに食い殺されるというのもありますが、欲に埋もれてしまった人間の姿とその世界という映像だけでも観てとれるし、そうしたメッセージ性があるのかなと個人的には感じました
どちらにせよただのゾンビ映画としては変わりはないし、少し見方を変えるだけでまた違った楽しみ方ができる映画にも感じた作品でした。解除後の映画にピッタリかと言われたら難しいけど、オススメな作品です。
■評価
最終評価は・・・
😀😀😀😀😀|😀😀●●●
7/10です。
世間的な評価はいまいちですが、ちょっと雰囲気の違ったゾンビ映画が見たいという方にはオススメです。是非劇場で見てみてはいかがでしょうか?
はい、そんな感じで!
それでは!