■あらすじ
中世ルーマニアから人間と共存し、生きながらえてきた美貌のバンパイアたちが、新たな王国を築く場所として、日本の茨城県にある私立野薔薇高校に目をつける。そこに通う高校2年生の小日向京平は、友人たちと毎日を楽しく過ごしていたが、ある日、親友の吾郎が怪しい人物に襲われたことで事態は急変。無類の女好きであるはずの吾郎が女装し、同性愛者となってしまい、クラス中が大騒ぎになる。巷では町にバンパイアが現れるという噂が流れており、京平たちは、そのバンパイアに噛まれると同性愛者になるのではと予測を立てるが……。
■ネタバレあり感想
『バイバイ、ヴァンプ!』
ネットでただいま絶賛炎上中のこちらの邦画。物語はある日街にドラキュラ(ヴァンプ)が現れる噂から始まり、そのヴァンプに噛まれると子ヴァンプになってしまう。さらに子ヴァンプになると同性愛に目覚めてしまい、街に住む高校生達がどうやって切り抜けるかという物語。
事前に言うと俺は最初見るつもりは一切なかった。たまたま最近行っていない映画館を調べて、たまたまその映画がやってるのを知り、そしてちょっと調べたら炎上しているという件を知った。なぜそこまで炎上していて、なぜ批判されてるのか気になって(てか当たり屋として見ておかないとなという気持ちの方が高い)今回鑑賞した。まぁ大概何故炎上してるのか知ってはいるけど。
ちなみにこれから色々と話すけど、この映画の出演者のファンの皆様の為に言っておくなら俺はちゃんと作品を最初から最後まで鑑賞して感想を言っているということは知って貰いたい。
そして自分はこの映画に出演したファンではないし、そこら辺にいる映画ファンです。今回は映画として観た感想を話していきますのでそこも知った上で観てくれたら何よりです。
前置きが長くなりましたが感想を話すとハッキリ言って映画としてもクソです。
同性愛云々の話しも勿論話したいんだけど、とりあえずもう単純に映画として見てもつまらないし、B級映画としても最近の小規模映画のクオリティが高いからそれと比べたら文化祭レベルの作品でしたね。
「B級映画みたいなものなんだからB級映画として感想を言え」という意見もありそうですが、A級もB級も劇場で公開されたりDVDで発売されて世に出されてお金を出して鑑賞するものには変わりはないから、俺はもうしつこいようだけど、ひとつの映画として捉えるよ
そもそもまずヴァンプつまりドラキュラ要素をいれる必要は無かったんですよ。確かにドラキュラ同士だから出来たかもしれないアクションもあったんですが、アクションはなんかドラマでやるようなもので見ごたえは無かったし、ラスト辺りのアクションも小さな部屋で沢山人が棒立ちで見ていているから閉鎖感あって見ていて息苦しかったし、部屋の道具とか使ったりしろよとかなんかもうそこだけでツッコミたいことが山ほど
ドラキュラが原因で同性愛者になるんだけど、ドラキュラじゃなきゃいけない要素ってつまらないお遊戯アクションだけで、感染とかなんて定番ならゾンビでも良いし、あとは幽霊に取り付かれたとかでもいいじゃん。なんでドラキュラ?なんか新しいものでも開拓したかった?それにしては最近ドラキュラの知識を沢山知ったから入れてみました感丸出しなのは気のせい?
勿論ドラキュラの弱点やら能力やらも、ちゃんと出てはいますがこれもガバガバです。例えば日差しや紫外線が苦手で日焼け止めを塗るとかそれってアニメとかの吸血鬼キャラが出る二次創作とかでよく使うネタじゃん。
まだそれは100歩譲るとしてさ、その日差しが弱点の割になんで敵の吸血鬼側は主人公とか話すとき毎回日差し側にいるの?新手の自殺かよ。日傘とか最初出した割になんで吸血鬼どもは堂々と日差しの中歩いてんだよ。あの日傘とか日焼け止めクリーム要素は「この人は吸血鬼ですよ」って最初から教えてるし、「誰が吸血鬼なんだろう」って楽しみを失われるし、そうやって堂々と教えてるとその時点で観客をバカにしてますよね。
それからこの映画は味方側の吸血鬼もいて、彼らは敵側の吸血鬼から逃げて日本で身を潜め人と同じ生活や人と同じ食べ物を食べ人の血は吸わずに人間の心を手に入れた奴らです。ただ彼らはあくまで心が人間なだけあって吸血鬼とは何ら変わりありません。
それをふまえると例えばなんか中二臭いデカイ十字架の武器を主人公の妹(彼女は本当の妹ではない吸血鬼。彼女も味方)が持ってたり、ハーフでありながらも主人公が持ってたりできます。なぜ十字架が嫌いな吸血鬼が軽々持てるんでしょうか?相手は嫌がるのに
子ヴァンプを撃退するために聖歌を町中に流す作戦をします。敵側は嫌がってるのに自分達はかなり平気そうな感じなんですよ。理由は「人間と同じ暮らしをしたから」だそうです。なるほど、人間と同じ生活すれば吸血鬼の血やDNAも無くなり人間になれると。もう心云々の話したらもう根性論の域を越えてるでしょ。
そもそも子ヴァンプ達も吸血鬼なんだから聖歌聞いたら死ぬようなもんなのに、なんで目が覚めたら何もなかったかのように元に戻るの?血が入ったとか菌が入った云々じゃなくて子ヴァンプになったのは悪魔に取り付かれたからみたいな話になるよ?それもうエクソシストや陰陽師やん!
そんで聖歌を聞いて苦しめさせて「話し合おう」と言って聖人の血が一滴入った飲み物を自分達は飲まずに敵側に飲まして相手をより苦しめます。どうやら飲んだら人と同じ愛に溢れた気持ちになれる飲み物だそうですが、飲んだひとりがかなり苦しそうでしたね。
お前らの方がよっぽど悪魔だよ!!
そしてラスボスとハーフである主人公が戦い主人公は吸血鬼の力に目覚めます。戦う最中であるキャラが「あのままでは彼は完全にヴァンプになってしまう」といいます。
なにを根拠にそれを言う?
ちなみにメインの敵キャラは男性と女性と二人いて兄妹で転校して日本にやってきます。しかし彼らは本当は兄妹ではなく、ただの幼馴染みでした。
????????
兄妹設定にする必要性は感じられないし、幼馴染みで転校してきてもなんら問題はないかと。てか愛がどうとか言ってるなら急に幼馴染み設定無しにして、禁断の兄と妹の恋を描けよ!!なにが愛だ!結局逃げやがって
あとはもう箇条書きのような感じになりますが、映画として気になった点を話すとまずキャラクターが魅力ないです。何もかもが形だけで出来上がった奴らばかりです。
主人公の友人もヤクザの息子と吸血鬼になって同性愛に目覚めた子、よくアソコが濡れる男、あと二人いたけど忘れた。ヤクザの息子もヤクザの息子に見えないし、それも生かされてないからとりあえずその場で考えた設定なんだろうなと分かります。
あと基本皆演技下手です。主人公と友人達はまだ見れた方だけど主人公の妹役の子は滑舌悪くてなに言ってるか分からないし、たまに訛りが出そうなイントネーションで話したりするから聞いてて不安になります。あとたまに眠そうでしたね。
悪役の兄は最初は良いなとは思ったんですがだんだんアニメのようなキャラクターになってきてから最終的に下手くそになってきたというかなり珍しいタイプでした。
そしてこれから語る同性愛のこともそうなんだけど考えとかが古い。何てったって今時登校時間に竹刀を持って校門前いる教師がいたりとか、谷間を見せつけてミニスカートを履いてる英語の女性教師とかこの映画に登場します。90年代の少年ジャンプかよ
カメラが常に固定で長々と会話するシーンがあったりするから絵的にもつまらないし、音楽も常にネットカフェで流れてそうな静かな音楽が流れてたりして音楽も意欲的ではなかったです。
さて例の同性愛の話にやっとなりますが、もう多くの人が話してるなら俺はあまり話さないよ。
この作品は俺から見てもこれは救いようがない炎上しても仕方ない映画だったなと思います。
吸血鬼に噛まれると同性愛に目覚めてしまう。そしてそれがだんだんと広がりはじめて主人公たちはどうするのか?吸血鬼の親玉を見つけ出して皆を元に戻せるのか?最初から同性愛の考えがあったかは知りませんがたぶんコンセプトはこうだったんでしょう。ただそこから一言多いムカつく男の如くいらないものを付け足していきましたね。
製作陣はとりあえず考えが古すぎるというか何を調べたらこうなるのか逆に教えて欲しいくらいです。俺は同性愛者ではありませんが、同性愛者は何人かは見てきてます。けれどもこの映画のような「同性愛者は性欲の塊」「ホモはすぐにケツを狙ってくる」とかそんなことは一切ないです。
そうした昔の負のイメージを映画でそのまま映してそれを笑い者にする。ブラックコメディでもこんなことはしないし、まだそうした負のイメージの考えを引っ張っている人がいるとかなり悲しくなりますよね。もう2020年だぜ?
「別にコメディなんだから何も考えずに楽しめばいいじゃん」という意見もあるかもしれませんが、ハッキリ言うならそういう貴方達の方が考えて観た方が言いと思うよ?何も考えないあなた方がどれだけ同性愛者などの人たちを傷つけてるのか分かりますか?
「障害のある人を笑い者にして映画にしよう」とか、そうじゃなくても「何かしら障害者を題材にした映画でコメディを作ろう」という時点でかなり製作陣はおかしいんですよ。
そんで映画がクラス内で同性愛者たちがキスしまくってる絵を見せたり、ゴリ演じる同性愛者の教師が生徒たちと銭湯で背中を少し性的な表現で洗ってたり、オカマの典型的なキャラクターで笑いをとったりして「笑ってください!お願いします!」って投げ掛けるんだよ?まだ常にスベり倒すコメディ映画の方がまだマシだよ。
そんで同性愛の吸血鬼が人を襲うというのも「同性愛者は化け物」だとしか俺は映画を見ててそうしか見れないし、吸血鬼がひっそりと暮らすという描写も同性愛者は光に当たらず影にひっそりと生きてろと言われてるみたいです
言い忘れてましたがある理由でヴァンプたちは同性愛者になったらしいです。
だから聖歌で苦しんでる子ヴァンプ達も倒されて清々しいとは思えず逆に「なんでこんなことするの?」と悲しい気持ちになります。異性愛者が普通であり異常な同性愛者は消えてなくなれという描写にしか見えないんですよ。
その後の聖人の飲み物を敵側の妹が飲んだシーンもなんか無理矢理同性愛者の考えを奪い取ってる感じがして嫌でしたね。
なんなん?異性愛が普通だと思ってるの?同性愛は普通ではなくて、異性愛こそが普通の人間が行わければならない愛の形なの?ふざけんなよ
まず異性愛を普通だと思い込んでることが異常なんだよ!!
それに終わらず主人公の父親が吸血鬼で異性の人間の女性と結婚した話しも出てきます。それで父親はタブーをおかし処刑され、ある人からは「変態なんだよ。ド変態」と言われます。
これさ、異文化や人種別の恋とかも批判してるの?だったらもう尚更だよ?
これが仮に同性愛者ではなくて、例えば人種だったり、何かしらの障害を題材にしてたらカバーできたのかと言われたらまったくカバーなんて出来ないわけで、結局路線としては変わらないと思います。つまりもう「同性愛者や障害なんか無い世界こそが普通であり素晴らしいのだ」というなんとも侮辱を味わう作品になるんですよ。
ホアキン版ジョーカーならもう怒りMAXだよ
そして何より映画で腹がたったのがこのツイートなんですよ
バイバイ、ヴァンプ!に関しまして
— 映画「バイバイ、ヴァンプ!」【公式】 (@byebyevamp) 2020年2月16日
この作品はコメディーのテイストでありながら、「愛」をテーマにしています。
愛には様々な形があります。男女の恋愛、同性愛、人種を超えた愛、家族愛。
どの愛も等しく大切です。
しかし、それぞれの愛にはそれぞれ立ちはだかる壁があり、
たった何百文字のツイートでこの映画が何の映画で、なにをテーマにした映画なのかということをもう教えてしまってることに関して、観客に解釈を委ねるのを拒否してしまってるし、そんな簡単に教えてしまうというのはもう製作してる時点から真剣に取り組んでないのが分かりますよ
見ていてもたぶん製作陣はあまり真剣に良い作品を作ろうと言う意気は無いんだろうなというのは伝わりましたが、このツイートでもう「良い作品を作る」ということや「観客に楽しんで貰う」という部分が感じられないんですよ。
さらに最後の文には「申し訳ございません」と謝罪してる。これはもう「そういう映画を作ったことを認めた」ってことになるんですが良いんですか?
てか最後まで映画を貫き通せや!!
確かに批判やら炎上とかされてはいたし、他の映画もつまらなかったら不満の意見もありますよ。それでも他の映画は自分達が作り上げた映画を信じて、自分達が作ってみんなに届けるべきテーマは正しいとか誰かの心に響くだろうと考えてるはずなんですよ。どんなクソな映画でも
それなのにこの映画はひとつ批判されたからって自分が製作した映画を信じようともしない、皆がダメダメ言われても俺たちはこの映画を信じるという熱意もない。
そんで簡単に謝って「お詫び申し上げます」と。簡単に「不快な思いを抱かせる」と。ふざけんじゃねぇ。だったら最初から作るなよ!!クソが。
この映画は同性愛者の侮辱や冒涜し、そして映画ファンを始めとする観客への侮辱や冒涜な作品でした。ここまで古い考えで差別をしたあげく、製作陣の映画魂もなにもない本当になんもない薄っぺらい作品はたぶん俺がこの世に生まれて初めてかもしれない。あまりにもいろんな人をバカにしている。
そして映画としてもクソつまらない。コメディにしてもまったく笑えないし、そもそもそういうのを笑いにしようとしてる時点でおかしいし、ホラー映画として見てもホラー映画として機能は全くしてない。
演技も演出も音楽もカメラも脚本も本当に良いところ無い。同性愛者の話を抜かしてもひとつの「映画作品」としては全く見れたものではない。
もうこの作品に救済の余地はないです。もう救えない。例え救える可能性があったとしても俺は救いたくない。こんな差別的で映画を人をバカにしている作品になんて
そんで「愛は自由」とか「愛は人それぞれ」とかふざけんなよ。説得力が全くもってない
愛について知りたいなら俺は新海誠作品と、ディズニーと、アンパンマンを観る
■評価
最終評価は・・・
●●●●●|●●●●●
0/10です。
とりあえず俺は8回目の『ジョーカー』でも観て気分を変えたいと思います。そしてかなり長くなりましたね。お付き合いありがとうございました。
はい、そんな感じで!
それでは!