■予告
■あらすじ
「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸に、大都会で大道芸人として生きるアーサー。しかし、コメディアンとして世界に笑顔を届けようとしていたはずのひとりの男は、やがて狂気あふれる悪へと変貌していく。
■作品紹介
Why so serious? HAHAHAHAHA
どうも、KOUTAです
本日はこちら。
DCヒーローにして日本でも有名なバットマンの宿敵として知られる敵キャラクタージョーカーの初の単独作品。バットマン関連の実写映画としては初のR指定作品
ジャック・ニコルソン、ヒース・レジャー、ジャレット・レトなどの名優が演じてきたジョーカーを今回はホアキン・フェニックスがその怪演を披露する!社会の闇に飲まれた元は普通の人々と変わらなかったジョーカーは果たしていかに闇の支配者へと君臨したのか?!
そんな『ジョーカー』(原題:Joker)を今回は紹介していきます。
改めてましてヴェネチア国際映画祭にて最高賞の金獅子賞受賞おめでとうございます!おめでとうございました!ありがとうございます!どうやらなんか知りませんがDC映画としては初めての最高賞を受賞したらしいですが、マーベル映画って金獅子賞獲ったっけ?
この世には正義がいれば悪がいます。アベンジャーズがいればサノスがいますし、アンパンマンならバイキンマン、ウルトラマンならバルタン星人、そしてバットマンならジョーカーという光と影の存在は欠かせなくなりますし、必ずこの世には何かと何かの対照的なものがあります。
今回はそんなバットマンの宿敵であり、数々の名優が演じてきたジョーカーの単独作品でもあり彼の過去が明かされる作品になります。ジャック・ニコルソン版の化学製品に落ちたり、ヒース・レジャー版のように逆に過去が明白でなかったりと様々なジョーカーは描かれましたがそれとはまったく無縁の心機一転の別のジョーカーの描かれ方になってます
そんな様々なDC原作、映画ファンのプレッシャーを抱えてたぶん製作陣が逆に精神的に不安定を抱えるんじゃないかという不安を乗り越えて、今回出来上がった作品!
公開時には様々な賛否を巻き込み、あるものは笑いあるものは唖然とし、またあるカップルは分かれるような雰囲気になり、大学生などの若い連中は上映前盛り上がってたら終わったらかなり沈んだまま帰る等まさにネットワークや映画館内でゴッサムシティ化した今作。
はたしてどんな作品だったのか?少し遅れてではありますが、早速レビューをしていきましょう!
■ネタバレあり感想
レビューする前に先に言っておきます。
今から話すレビューはあくまで個人の意見として受け止めてください。「それは解釈違い」「それは違うんじゃないか」「その考えは狂っているぞ」と思う方もいるかもしれません。特にこうした社会を動かしても過言ではない作品に関しては
そして約束をするなら仮にイカれた解釈などをした場合でもあくまで映画として受け止めたということであり、そうした考えで社会に何かしら影響を及ぼすことは一切いたしません。
というのも俺のレビューはたぶんかなり方向性がネジ曲がっているのかなと思います。自分自身が過去に精神的に崩壊したことは何度もありましたし、このブログを見てくれてる方なら知ってるかも知れませんが去年も精神的に壊れました。大分マシにはなりましたが精神科に行ってないので、詳しい病状は分かりません。
個人的な見方ではありますがたぶん鬱は当然なってるし、現実逃避もしてるし、あまりここ書くと話が長くなるようなことはありました。なので精神科とかカウンセリングは受けてはいませんが、精神的に崩壊した野郎の長々とした感想、そして1人の映画が大好きな人間としての感想として閲覧してくれたら幸いです。
もしこの時点でもしくはレビューの途中で見たくないなと思ったらプラウザバックしても構いません。では行きます
ハッキリ言うならこの作品は今年の個人的な2019年ベスト映画にランクインするレベルでの神作です。
たぶん多くの人はこの映画を何回も見たいとは思わないでしょうが、個人的には何回も見たくなる作品ですし、物欲がない私でもDVDが出たら買うつもりでいるレベルで好きな作品です。
序盤で傑作だと分かる作品は何個か今までにありましたがこの作品はそのひとつだと思います。映画的にも作りは単純に言えば最高でしたし、音楽も素晴らしく、どん底の社会と人間の闇を映したにしては映像は綺麗だし、ホアキン・フェニックスを中心とした俳優の演技は素晴らしく映画的に素晴らしい部分は沢山ありました。たぶんこれだけでも見る価値は十分にあります。
実は結構ホアキン・フェニックス演じるアーサー(ジョーカー)に関して共感する場面は沢山あり、特に彼の辛い一面を見せる前半部分なんかは結構共感して泣きそうになりました。…たぶんこの前半で泣きそうになったのはこの世で俺と他数人かもですね。と、同時に終盤はかなり笑ってしまう自分もいましたが…。やはり狂ってますね
まぁ笑うというのも、そんなゲラゲラとは笑ってませんよ。隣で彼女と見てましたからそんなゲラゲラ笑ったら彼女もお客さんも引いちゃうから今回は抑えましたけど。けどかなりニヤついてたとは彼女から聞きました。
ちなみに帰るお客さんのカップルや老人がお葬式ムードになるのは本当でしたね。
演技で言えばホアキン・フェニックスは圧倒的に素晴らしかったし、俺の中の好きなジョーカーはたぶん彼でしょう。このキャラクターのために20キロ代まで痩せたと聞いたし、その体つきも良い意味で気持ち悪さがありましたね。日本の俳優で「この作品のために5キロ痩せました!」と言って病的に見えない難病を持つ役をやるどや顔クソ俳優は見習ってほしいです。
この映画をどう見るかでなんか評価別れそうですよね。というのもかなり映画の内容がタイムリー過ぎて共感できる人は共感できるし、共感できない人はできないでしょう。香港デモの件もそうですが、あまりにも日本の抱える社会の闇とか怒りとリンクしてますよね。
ブラック企業、いじめ、家庭問題などなど含めた社会問題。そしてそこから生まれる人間の心の壊れ方と貧困層と富裕層の対立はよく映し出された作品ではありましたね。
たぶんこれだけではこの作品を「面白くなかった」という人にとっては理解はあまりできないのかなと思います。なので少しばかりではありますが、私なりに何個か分けて解釈していきたいなと思います。たぶん多くの人は持つ「これはどういうことなんだろう?」っていうのを一回見たやつの話ではありますが話せればなと思います。話せなかったらすいません
◇笑い
人間というのは笑う理由として二つの理由があると思います。ひとつは漫才やコント、面白い話しなどを聞いたときに生じる自然な笑い。もうひとつが上司などに向ける笑いたくないけど笑顔を向ける作り笑い。たぶんこの二つは基本かなとは思います。
ジョーカーことアーサーは脳の損傷で笑ってしまうという設定にはなってますが、あまりこうした事例は聞いたことがないので実際どうなのかは分かりません。しかしアーサー自信は仕事時はかなり作り笑いをしているのが分かります。
映画冒頭で無理矢理口角を上げて笑顔を作りピエロとしての仕事の準備をする、自分は悪くないのに上司に怒られ自分の怒りを抑えた笑い(実際ここは最高でした)、仕事仲間の笑い話を無理に笑いながら部屋から出て聞こえない所で笑いをピタッと止める。これらの事柄はたぶん仕事をする上で自分もやるという方は多いんじゃないのかな?
彼自信の自然な笑いも世間の笑いとは結構ズレはあります。人が笑ってない部分で笑っていたりと、こうした小さなところでアーサーが世間とは離れた存在であるということが映画的にも分かりますし、たぶん俺の見た感じだと彼が自然的な笑いをするのは社会の闇を感じたりストレスを感じたりするときなのかもしれません。
実際これは俺もあったしあるんですよ。勿論漫才やコントを見て普通に笑うときもありますが、去年とかは仕事の辛さに耐えきれなくてストレスがたまって「なんで俺はこんな場所にいるんだろう」ってケラケラ笑ったり、幸せそうな人や家族を観ると違う見方でケラケラ笑ったりして
もしかするとアーサーは脳の損傷によることかもしれませんが、たぶん彼がそうしたケラケラ笑うというのはストレスであったり、社会の片隅に置き去りにされた悲しみであったり、人として否定されたりしたときなんだと思います。現に彼がタバコを吸うときや貧乏ゆすりするときはあまり笑うシーンが少ないですからね。あ、ラストはタバコ吸ってたな
だから俺はこの笑いはうまく組み込まれていたなと思いましたね。作り笑いで生きなければ行けない世の中、笑えてしまうクソな世界。そんな世界で生きるアーサーの笑いはアーサーなりの悲しみの遠吠えでもあるように思えるんですよ。泣いても誰も側へ来ない、怒りはあってもぶつけられない、なら笑えば誰もが見てくれるとそんな風にも見えてしまうんですよね。
◇劇中での躍り
劇中ではアーサーが様々なダンスを披露します。一番記憶に刻まれるのはあの長い階段のダンスでしょう。たぶんあれはミュージカル映画のようにいきなり踊り出したからどよめく人もいるのかなと思います。けどこれ結構重要なんですよ。
病院で子供たちを元気つける「ホスピタル・クラウン」の仕事をするアーサー。そのなかで使われた楽曲が「幸せなら手を叩こう」です。幼稚園とかでやりましたね。幸せでもないのに強制的に手を叩かされたりする楽曲。アーサーもかなりノリノリで踊ります
彼自信も子供たちを喜ばせているし、仕事の上司にも「一番好きな仕事だ」といいます。この台詞はホスピタル・クラウンなのかピエロの仕事かは字幕だけでは少し分かりづらいですが。
それに伴って彼が幸せな時間であるときや、幸福だと思った瞬間には踊るようになったのかなと思います。彼は電車で若い男性三人を殺したあと、ある場所で舞っていましたがつまりこれが彼の幸せの気付きであるんですよね。
そこからの劇中でのあの階段のダンスを見れば分かる通り、彼がついに仕事や母の秘密などなどから解放され自分自身の存在意義を知った幸福の絶頂を表したダンスだと思います。
あまりアーサーの気持ちが露にならない本作で唯一彼の気持ちが大きく動くことを目に見える大切な演出なんですよね。
これを狂ったから踊ったという解釈も間違いではないとは思いますが、ただなにも感じずに可笑しいからケラケラ笑うのはそれは少し違うんじゃないのかなと思います。
◇アーサーの存在意義
彼は三つの支えがありました。夢、母、そして片想いのシングルマザーの女性。彼にとってはそれが心の支えになり、なんとか生きていた理由でもあります。同時に彼の殺しをしないためのストッパーでもありました。
一度公衆電話のガラスが割れたように彼の心になにかが壊れてしまったみたいに自己防衛でもありますが、三人の若者を殺します。その殺しがきっかけで自分は世界の片隅にいる人間ではなく、世界を動かせる人間なんだと気づくわけです。
事件事態は富裕層の若者を殺したというたまたまではありますが、それでも貧困層の火付けになったわけです。富裕層からしたら悪と見られるし、貧困層からしたらジョーカーを自分達の救世主として崇められるわけですね。
そんな彼は母を亡くし、彼女とも付き合ってたのが実は全て重度の妄想であったことが分かります。もう何も失うものがなくなった彼はジョーカーとしてコメディ番組に出演しますが、これまた番組内の出演者が良い世界観を産み出してますよね。
受けなかったジョークで笑い者にされるジョーカー、それを自分の糧にしようとする司会者、金目当てで適当なカウンセリングをするカウンセラー、そして司会者をジョーカーが射殺したことにより世界がひっくり返った所を見た観客。この小さなスタジオでこの映画の世界を物語っていますね。
では彼が求める存在としての意義とは何かと考えたとき様々な理由が飛び交うし、たぶんこれでいろんな意見はあるはずです。「混乱の使者」「一夜の王」もあり得る話ですよね。
まぁ強いて言うなら彼はたぶん誰かに人として気づいてほしかったのかなと思います。それはジョーカーとしてなのか、アーサーとしてなのか、貧困層の代表としてなのかはそこまでは分かりませんがただ彼自信には愛を注いで貰えてなかったわけで、そういう意味ではその寂しさを消すため、そして誰かに自分は世界の片隅で生きているんだと気づいて貰いたかったのかもしれませんね。
「なぜ我々が苦しまなきゃいけないのか?なぜ助けてくれないのか?助けてと言葉にしてるがなぜお前たちはそれでも無視をする?こんなにも苦しんでるのに!なぜ分からないんだ!なぜ分かってくれないんだ」とそんな怒りや様々な感情があの司会者を撃った弾の一発に込められていましたね。
◇ラスト
あのラストのゴッサムシティの恐怖というのはなんなのかと軽く考えたとき、ある1人の人間が立ち上がってしまえばどんな町でもゴッサムシティになってしまうという怖さはありますよね。
さらに言うと誰しもがジョーカーになってしまうという恐ろしさもあります。それはメイクをすれば誰でもと言うわけではなく、ヒーローが勇気と正義を身につけてヒーローになるかのように、ジョーカーという人物も人間の怒りや哀しみが爆発した時には誰もが狂い出すということだと思います。
ゴッサムシティはある意味人間の感情の爆発した絵面を表した町でもあるように改めて思いました。感情が爆発し人を殺しまくる貧困層が悪いのか、それともここまでなることを予想せずに対策をしないで自分の欲を満たしまくった富裕層が悪いのか。ここら辺も様々な意見が交わりそうですね。
ラストのジョーカーが話をスルーし続けて同じ質問ばかりするカウンセラーと再開しますが、たぶんあれは殺しましたね。
そしてラストでジョーカーがカウンセラーに言った「あるジョークを思い付いた。あんたには理解できないよ」という台詞は果たしてこれからカウンセラーを殺すことを指しているのか、それとも今後も富裕層は貧困層や苦しんでいる人間の気持ちはまだまだ理解は出来ないだろうというメッセージだったのか。
どちらにせよ今の社会は日本ならブラック企業は消えないし、傲慢な人々が増えてきて、心を苦しみながら生きていたりしていますが、そうした闇のなかでもがき苦しむ人々や障害者の生き辛さを理解して行かなければ、ゴッサムシティのような町は生まれるし、人は狂い出してしまうということ。
そうした人々が必ず帰れる場所がなければいけないし、支えになる愛してくれる人はやはり人には大切な存在なのかもしれませんね。
俺は傑作の映画ならオススメをしたいんですが、これに関しては特に大学生や若者とかかなりの映画好きではない限りは見て欲しくない作品です。ゴア描写云々ではなくて、あまりこういうのは言いたくないんだけど話題だからってノリであまり見て欲しくない作品なんですよ。
「沢山アクションがあればいいな」「スーサイド・スクワッドみたいなものかな?」「ハイローみたいな悪い奴らがおっぱじめるのかな?」というような感覚では見ないでください。あくまで人の心情をボロボロになるまで描いた作品ですし、社会の哀しみの訴えを表した作品だと思います。
それを理解してくれたら嬉しいんですけど、それをエンタメ感覚で話題に乗っかって観るというのはやめたほうがいいと思います。すいません、ただの愚痴です。
………ん?オチ?あー、オチはないです
※追記
2回目を鑑賞したので少しですが気づいた点を話していきます。
◇アーサーのラスト精神病院でのシーン
このラストのシーンで実はここまでの話しは全てアーサーの妄想話だったのではないかという考察を目にしました。確かにそれはそれで面白いですが、俺的には少し違うんじゃないかなと思いました。
黒人女性の精神科の先生がなぜか彼の笑いの発作を知っているはずなのに、アーサーが笑ってる際に「何が可笑しいの?」と質問をします。たぶんここでなぜその質問を投げ掛けたのかという疑問からそうした考察が生まれたのでしょう。
なぜその質問をしたのか。その俺なりの回答は「笑い方が偽物ではないから」です。精神科の先生も話しは聞きませんでしたがバカではありません。彼の心からの笑いと表面上の笑いには気づいてるはずです。
アーサーはたぶん喜怒哀楽の表し方ができないのでしょう。発作型の笑いをしてしまう共通点は悲しいとき、怒りがあるときに人前ではそうした感情を見せずに表面上の笑いをしていたのではないかなと。現に人前では無いときは怒りをぶつけるシーンはいくつかあります。
なぜそうなったのかその原因は母親の虐待でしょう。虐待による物理的攻撃で彼が脳に異常をきたしたというより、精神的攻撃でそうなったのかもしれません。何が言いたいのかと言うと、これは俺の勝手な解釈ですが母親は幼少期のアーサーの泣き顔などが見るのにイライラしてしまい、彼を強制的に笑顔にしたり笑わせようとしたのでしょう。
あらすじにある「どんな時でも笑顔で」というのは一種の母からの脅しでしょう。泣いたら叩かれる、母親の目を気にして笑顔でいなければ叩かれる。そこから彼の発作的な笑いが生まれ、感情がずれた笑いは彼なりのトラウマでもあるのかなと思います。
そこから劇中でのアーサーが本来の喜びと楽しみと幸福を知ったことにより、本来の笑顔と笑い声を手に入れます。現にジョーカーになる際の彼の笑顔は心からの喜んでるように見えたし、笑い方もラストの精神病院のシーンを見れば分かりますが序盤とは違い一切むせながら笑ったりはしてませんでした。
何もかもとは言いませんが、それを知った先生が彼を見て「何が可笑しいの?」と質問したんじゃないかなと思います。用は表面上の笑いと心からの笑いの違い、アーサーのトラウマや発作のような笑いの原因が知れるシーンだったのかなと思いました。まぁこれも俺の一種の妄想に過ぎないんですがね。
■評価
最終評価は・・・
😀😀😀😀😀|😀😀😀😀😀
10/10です。
(*ノ゚Д゚)八(*゚Д゚*)八(゚Д゚*)ノ
顔文字にはなんも意味ないです。ただ使いたかっただけです。
映画的にはクオリティが高くて映画好きや何か悩みながら生きている人にとっては最高の作品でしょう。舞台が80年代でしたから、80年代の映画作品の良さもじわじわ伝わる作品でしたね。
この映画で良い意味でも悪い意味でも社会が変わるのかは俺には分かりませんが、それでも2010年代を代表する傑作ですし、今後の映画の古典として語り継がなければいけない作品だと思いました。
はい、そんな感じで!
それでは!