■予告
■あらすじ
高度経済成長と大阪万博に沸く1970年代。関西のとある地方都市で小さな焼肉店「焼肉ドラゴン」を営む夫婦・龍吉と英順は、静花、梨花、美花の3姉妹と長男・時生の6人暮らし。龍吉は戦争で故郷と左腕を奪われながらも常に明るく前向きに生きており、店内は静花の幼なじみの哲男ら常連客たちでいつも賑わっていた。強い絆で結ばれた彼らだったが、やがて時代の波が押し寄せ……。
■Review
『焼肉ドラゴン』は、
劇作家、演出家として有名な鄭義信による長編映画初監督作品。自信の人気戯曲である『焼肉ドラゴン』を映画化した作品です。
元々舞台が原作というのは知らずに鑑賞をしました。舞台を知らないので舞台と比べることが可能ではないからひとつの作品として評価していきます。ていうか今年大泉洋よく見るなぁ。
舞台は昭和時代の高度経済真っ盛りの話です。制作者自信も話してる通り舞台を作っていた当初大ヒットしていた『ALWAYS 三丁目の夕日』のアンチテーゼを意識して製作されたらしいです。そのいう通り三丁目の夕日とは違いどこか影があり闇があるような暮らしをしている人たちが精一杯生きてる姿を描いているらしいです。
北朝鮮や韓国の当時の在日の話だったり、四・三事件の話が出てくるなりとそういう当時の状況下でどうやって生きてきたかというのを期待して見たんですが蓋を開けて見るともう映画のほとんど8割りが色恋沙汰の話ばかりでしたね。
勿論在日していて苦労する話もありましたよ。息子は私立の中学校でいじめにあったり、国有地を不法占拠した集落が断ち退くように通告されたりする話もあったり。もう本当にそれをメインにしても良いくらいでした。
ただそれよりも映画が押していたのは各キャラの恋話でしたね。メインの恋話は一家の三姉妹ではあるんですが、正直この時代設定でそういう色恋沙汰の話を持ってくる意味があまりないし、折角なら在日している当時の恋の難しさなどをもっと前面に出してよかったかもしれません。
結構何回か不倫や浮気など昼ドラが好きなおば様には大変好物な展開が出てきます。なんだろうね、色々過酷な人生を歩んできたから「安心できる人が側にいてほしい」という気持ちは何となく分かるんだけど、こうも映画のなかで不倫や浮気を沢山見せられると、どうせまたあっちに行っても今の恋人を裏切るんだろとしか思えないんですよ。ひとりくらいまともな恋をする奴はいてもよかったですよね。
そもそもキャラがどいつもこいつもウザかったり、人として残念なやつが多いので彼らの恋なんぞ興味は出ないし、強く生きて力強く生きていく姿を描いているというのは分かるんですが、だったらもう少しまともな人間たちの人生を撮してくれよと思います。
特に人としてどうなんだろうと思ったのは息子のトキオが自殺して亡くなり少し経った後の話。母親は今でも息子が亡くなったのにショックしてるのに、他の人はなにも無かったかのように万博に行ったり楽しそうに話したり、それまでなら良いんだが母親が暗くなってるのを見て普通なら「トキオが亡くなったから仕方ない」と言えば良いものを「いつまで引きずってんの?」だってよ。人として最低な発言だな。
映画としても色々言いたいことはあります。まず撮影方法なんですが、これは監督が初の長編映画作品たがらというのも分かった上で話すと結構キャラクターのクローズアップが多かったです。特にキャラクターの感情的なシーンでそういうのを見たから「感動してください」と押し付けてる感じがしました。
意味のない長い撮影が多いです。これはもう切って良いだろうていうひとつのシーンのラストが長くて仕方ないです。例えば別の話題で結婚祝いを祝ってくれないあるキャラが最後泣くシーンとか、あるキャラのキスシーンとかなどポンポン進んでた反面急に長いシーンが出てくるとテンポが悪くなって「さっさとカットしろよ」とイライラするし、単純にこれも感動や笑いを押し付けていて長回しにする必要性もないです。
「焼肉ドラゴン」などの集落のセットデザインは素晴らしいと思います。ただそれくらいしか昭和の匂いを感じ取れなかったのは残念です。集落以外にも川辺や学校なども撮影はしてるんですがそこから昭和のような雰囲気を醸し出してないし、それが無理なら撮影方法次第で昭和感を作り出すことも出来たはずです。
集落が昭和で言うなら川辺や学校が平成の感覚がするのでタイムスリップしたんじゃないかと思ってしまいます。せめてトキオの通ってた学校制服を私立だとしてもブレザーじゃなくて学ランにすべきでした。
演技や演出が度々映画ではなく舞台っぽいです。別に舞台を身に来た訳じゃないからそういうのを感じてしまうと映画を観ている私たちとしては違和感を感じます。なんか知らんけど外の会話が家の中から聞こえてたり、そんなに大きな声で話してないのに家の中から窓を開けて別のキャラがツッコンだり。
他にも演技の立ち振舞いが映画に求められる(かは分からないけど)自然的な演技じゃなくって舞台のような演技をしていましたね。特にあんなに大きな声でギャーギャー叫ぶこともないです。喧嘩とかして近所の赤ん坊が泣いたりするのが2回くらいありますが、あんだけギャーギャー叫んだらもっと近所の赤ん坊泣くだろう。しかも事が済んだら赤ん坊もタイミング良くピタッと泣き止むところはなんか機械的で気持ち悪かったです。
赤ん坊で思い出しましたが、序盤ナレーションで「この町は子供や赤ちゃんの笑い声や泣き声で溢れ返ってる」的なことを言いますが溢れ返ってません。溢れ返ってるのは良い歳したおじさんおばさんがギャーギャー叫ぶ声です。あのナレーション以来子供の声ところか子供の姿も見当たらなく、集落にいるの彼らだけなんじゃないかとずっと思ってしまいます。大きな集落ではあるはずなのになんか舞台みたいにこじんまりしてましたね。
ナレーションですが、ラストのナレーションのトキオがなんか皆と同じく泣きそうな感じで話してました。正直これ私が監督なら録り直してます。ナレーションってあくまで状況説明に使われるための役割で、キャラや俳優の個人的な気持ちなんていらないんですよ。そういうのが必要なのはドキュメンタリー作品くらいです。
あと桜が降る演出がありますが、ほとんど木がない状態の集落であんな真上から桜が降ってきますかね?細かいかも知れませんが、これが舞台なら許せるんですが映画ならもう少しリアリティある降らせ方あるだろうと思ってしまいした。
あんまりキャラを好きになれなかったし、伝えたい内容がズレてどうでもいい色恋沙汰の話、色々ツッコミ部分のある舞台と勘違いした演出など正直これがなんで評価されてるのか分からない作品ではありました。